かつてわたしは本の虫だった。
きっかけは失恋だった。
どんなしょうもない恋愛であっても、振られるとこの世の終わりくらい落ち込む自分の性格をわかっていたから、振られてすぐにネットで「失恋したときに読む小説」みたいな検索をして、手あたり次第中古本を買い漁った。
仕事中以外は常に本を読むようにして、悲しみに浸る暇がないほど自分を思考停止状態にさせた。
これが意外に効いた。
自分にしては結構早く吹っ切れていたことに驚いた。
そこから本の世界に生きるようになっていた。
給料に余裕があるわけでもないのに本を買うことだけはやめなかった。
月に1回、休日にお気に入りの書店にいって好きなだけ本を買うのが至福の時間だった。
よく読んでいたのはのはエッセイ、社会学、ルポタージュ、思想書、グラフィックノベル、小説で、実用書や自己啓発書は買わなかった。
本棚に少しずつ読んだ本が増えていくのがうれしかった。
そこに並んだ本たちはもはや自分の一部にさえ感じられた。
そんな生活が3年くらい続いて、わたしは本棚に並んだ背表紙を眺めながら違和感を感じ始めていた。
…これ必要?
読んできた本は、たしかに今の自分をつくっているとも言える。
けどもう、読書によって他人の考えをなぞることに飽きてきていた。
知識で自分を武装しているようにも感じるし、このまま一生他人の考えにすがり続けるのも虚しいと考えるようになっていた。
悩んだ末に出した結論は「そのときのわたしには必要だったけど今のわたしには必要ない」だった。
そこから少しずつ本を手放していった。
愛着があるからいっぺんに手放すことはできなかったけど、この先も折にふれて読み返したい3冊だけを残して本棚も処分した。
今現在わたしが所有しているのは、このとき残したうちの1冊と、あらたに買った10冊だ。
古典哲学と、自己啓発的なものと、学術書や専門書的なものと、小説が1冊。
理想を言えば、本なんて読みたいと思わないくらい日々の営みに没頭できる人生がいい。
人生についてとか幸せについてとか、考えない毎日がいい。
でも現実には、わたしたちはあれこれ思い悩んでしまう。
だからわたしは本を読む。
「現実逃避」「知識」「教養」「共感」という名の救いを求めて本を読む。
そんなわたしのちっぽけな言葉を最後に聞いてほしい。
人生に悩んでいるなら本を読め。
悩んでいないならそのまま進め。
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